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東京地方裁判所 昭和47年(わ)3149号 判決

主文

被告人は無罪

理由

(一)  本件公訴事実は、「被告人は分離前の共同被告人原哲也と共謀のうえ、昭和四七年五月二二日午後二時三〇分ころ、東京都豊島区南池袋二丁目二七番九号三井銀行池袋支店において、行使の目的をもつて、ほしいままに、被告人が同店備えつけの普通預金払戻請求書用紙の金額欄に「94,000」、氏名欄に「鈴木晴順」とそれぞれペン書きし、印鑑欄に前記原の窃取にかかる鈴木と刻した印鑑を押捺して。鈴木晴順作成名義の普通預金払戻請求書一通(昭和四七年押第一四六四号の1)を偽造し、これを同店普通預金窓口係員大内喜美子に対し、真正に作成されたもののように装い、前記原の窃取にかかる右鈴木名義の普通預金通帳とともに提出行使して、同人の預金九万四、〇〇〇円の払い戻しを求め、同係員らをして正当な権限者による普通預金の払い戻し請求であると誤信させて、右金員を騙取しようとしたが、同店に右預金通帳の盗難事故が通知されていたため、同係員らに発覚してその目的を遂げなかつた。」というのであるが、当公判廷において取調べた証拠によれば、被告人の故意及び共謀の点を除くその余の外形的事実は、すべてこれを認めることができる。よつて、被告人の本件所為が、故意によるものかどうかについて判断する。

(二)  まず、被告人、原哲也、大内喜美子及び林明の司法警察員に対する各供述調書並びに被告人、証人原哲也及び同林明の当公判廷における各供述によれば、被告人は、かねてから青年による非行少年の教化指導を目的とするいわゆるBBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)に共鳴してその一員に加わり、一〇年ほど前、受刑中であつた分離前の共同被告人原哲也に面会し差し入などをしたことがあつてから面識を得て、その善導に当り、原はこの間、窃盗罪などで幾度か刑務所と社会の間を往来したが、出所すると、終始居所を明らかにしないまま、時折被告人方を尋ね、電車賃などの名目で、三〇〇円とか、五〇〇円程度の少額の金銭を被告人から借りたが、一度も返済せず、更生の実が挙がらないまま被告人との交際が続いていたものであること、原は、昭和四七年五月二〇日午後五時三〇分ころ、久しぶりに被告人方を訪れ、同人は、平素から地声の大きい被告人と玄関先で話しをすることを嫌つていたが、当日は「大きな声でできる話ではないから」といつて、同人を近くのひと気のない雑司谷墓地に誘い出し、「今日は土曜日で、金をおろせないので、この預金通帳を預けるから金を貸してくれ。都合があつて偽名を使つているのだが渋谷に住民登録もしてあるし、このとおり印鑑もある。」などとうそをいつて、他から窃取してきた鈴木晴順名義の預金通帳及び印鑑を示し、さらに被告人を信用させるため、着用の背広にも「鈴木」のネームがあることを示して、金員の借用を申し込んだこと、このとき、被告人は原の背広についているバッチを手にとつてみたところ、裏面に日本弁護士連合会の文字が目に入つたので、それを指摘すると、原は「いま、やくざの錦成会の会計をやつているのだが、やくざの組織を守るため弁護士バッチをつけて偽装しているのだ」などもつともらしく弁解し、被告人は「同じようなことが映画にもあつたので、そうかなあ」と思つてそれ以上深く追及しなかつたこと、原はさらに「明後日の月曜日に通帳をとりにいくから待つててくれ。金をおろしたら、そのうち四万円を返すから」といつたので、被告人は前記の如く原に貸与した金を一度も返してもらつたこともなく、又かつて自宅に泊めてやつたときテレビなどを持ち出されて、これまで合計二〇万円位の損害を受けていたこともあつて、同人から前記預金通帳及び印鑑を明後日原が取りにくるまで預かるつもりで受け取り、たまたま持ち合わせていた現金一、〇〇〇円を原に貸し与えたこと、被告人が、前記預金通帳及び印鑑を預かつた二日後の五月二二日午後二時ころ、原から「いまから通帳をとりにいくから待つていてほしい」旨の電話を受けたが、さらにその一〇分後、再び同人から電話がかかり、「いま横浜にいるが、都合で行けなくなつた。一万円と端数を残して九万四、〇〇〇円をおろしておいてくれ」というので、被告人が「君の住所がわからないからだめだ」と答えると、「住所は必要でない。三井銀行池袋支店へ行けば名前と判を押せばおろせるから」というので、原の申し入れを承諾したことがそれぞれ認められる。右の事実によれば、原は被告人に対し一切真実を告げておらず、同人がかねてから原に対して示す善意を巧みに利用し、被告人を欺罔して、いわば故意なき道具として同人の手を介して本件犯行を犯すべく意図していたことは明瞭といわなければならない。

(三)  そこで、さらに進んで、被告人が、果して前記預金通帳及び印鑑を原から預かつた当時、それが同人のものでないことを認識していたかどうかについて検討する。ところで、被告人は、当公判廷において、「原は、ここ一年位の間、悪事を働いていないと思つていたし、刑務所に何度も出入りした原のことだから、すぐ発覚するので簡単に犯罪はできないと思つていた。また原の説明ももつともに思えたので、預金通帳や印鑑が、本当に原のものと信じた。」旨述べているけれども、被告人は原と一〇年以上の交際があつて、その常習的な盗癖を充分承知しており、原が胸に弁護士バッジをつけ、鈴木というネーム入りの背広を着て被告人を訪れ、「大きな声ではできる話でない」といつて、ひと気のない墓地まで被告人を連れ出し、鈴木名義の預金通帳と印鑑を示して、金を貸してくれるよう頼みこんでいるのであるから、このような状況のもとでは、通常人の感覚をもつてすれば、原が着用していた背広や所持していた預金通帳、印鑑が、盗品ではないかと疑つてかかるのが極く自然ではあるまいか。しかしながら、被告人、証人逸見博昌及び同島崎通夫の当公判廷における各供述、被告人の司法警察員に対する五月二三日付供述調書によつて被告人の生い立ち、経歴、性格を見ると、被告人は幼少のころに両親を失い辛酸のうちに育つたのにもかかわらず曲ることなく、二〇才ころから一介の日雇労働者として生計を立てながら、前記の如くBBS運動に共鳴して犯罪者更生の仕事に力を注いでおり、その援助の仕方は金銭的、精神的に種々にわたり、報酬を期待せず、殆んど献身的な努力をおしまないことが見受けられ、また、人を疑うことを知らない善意の持主であつて、通常の尺度でははかり知ることができない面をもつていることがうかがわれるとともに、被告人の当公判廷における供述の態度を見ても、朴訥かつ卒直であつてことさら否認のための否認をしている様子はうかがわれず、一方、原は、当公判廷における供述の態度をみても、口舌に長け、ことさら難解な表現を好み、うそを巧みにいいまわす傾向が顕著であるのみならず、前掲証拠によつても原は頭の回転が早い方であり、預金通帳や弁護士バッチについての被告人の疑問に対しても当意即妙、すばやく出まかせの答を発するなどして、被告人に対し、右の物件が盗品であることをことさら臭わせるような素振をしていないことが認められる。これらの諸点を考え併わせると、原が、被告人の性格や傾向を熟知し、その善意を巧みに利用せんとしていたのに対し、被告人は右のような原のうそに騙されて、前記預金通帳及び印鑑を真実原のものと誤信するに至つたのではないかとの疑いが濃厚といわなければならない。けだし、本件において被告人の心理状態は、原のそれと鮮やかな対照を示しているのみならず、用心深い通常人の合理的な認識作用を被告人の場合に一般化することには多分に躊躇を禁じえないからである。

次に、検察官は、五月二二日原から電話で預金の引出を依頼されてこれを承諾した際、被告人と原の間に本件共謀が成立した旨主張するけれども、本件預金通帳及び印鑑の所有関係についての被告人の認識が前段認定の如きものである以上、被告人と原間の電話による応答の内容からは、そこに原の巧妙な術策を垣間見ることができるとしても、被告人がこの段階において前記預金通帳及び印鑑が盗品であることの情を新たに知るに至つたものとは認め難く、このことは、事後の銀行における被告人の挙動にも、外部からみて格別不審の点が見られず、被告人自身が当公判廷において供述するところも、銀行内に警官が入つて来た際、「何か事件があつたのかな」という程度、すなわちあたかも他人事のような感じをもつてながめており、奥の方にいた行員の林明から「鈴木さん、どうぞ」といつて呼ばれたとき、窓口で呼ばれないので始めて「これは、おかしい」と感じたというものであつて、これらの事実に照しても、被告人の本件犯行についての故意及び共謀の存在をにわかに肯認し難いところといわなければならない。

(四)  ところで、被告人は、司法警察員及び検察官から各二回、都合四回の取調べを受けたが、そのいずれにおいても、本件の故意を認め、当公判廷に至つて始めて右の自白を翻すに至つたものであるところ、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人が捜査段階で自白したのは、「否認しても、そんなことは常識に合わないといつて、捜査官が取り上げてくれなかつたので、仕方なく認めた」というものである。しかして、本件は、被告人の弁解が常識上にわかに納得し難いという事案の性質上、右のような取調が、しばしば捜査官によつてなされるであろうことは、否定できないが、捜査官としては、供述をそのまま鵜飲みにすれば足りるというものではなく、経験則に照して納得し難い供述については、質問を重ねてその供述内容に多角的な検証を加えることは、捜査官にまさに期待されるところであるから、本件自白を理詰めによる強制であるとして、その任意性、したがつて証拠能力を否定し去ることは相当でない。しかしながら、被告人の六月六日付司法警察員に対する供述調書によれば、「五月二〇日、原から預金通帳及び印鑑を預かつたとき盗品であることに気がついた」という確定的認識が、後に、「五月二二日、原から電話で預金の引出を頼まれたとき、不正品かもしれないと、多少なりとも考えた」という未必認識に変容するのであるが、むしろ、未必的認識から確定的認識へ推移するのが常態であるとすれば、右の供述記載は、明らかに矛盾するというべきであろう。そこに、何らかの動機による、被告人の必ずしも真実の記憶に基づかない迎合的供述の瘍跡を認めざるをえないのであつて、結局本件捜査段階における自白の信用性については多分に疑問があるといわなければならない。

(五)  しかしながら、前記の如き前後矛盾する供述記載から、一方においてはしなくも、常識と事実の板ばさみに難渋する捜査官の苦脳をうかがうことができるわけであるが、当裁判所も亦、捜査官の立場と同様に、社会生活上の経験則からみて、被告人の弁解は、通常人の感覚においては、一般に認容されないところといわざるをえない。したがつて、被告人の当公判廷における供述をもつて真実とすれば、それは常識の枠から逸脱した稀有な事例であるとの印象を完全にぬぐい去ることができないのであるけれども、同時にさきに認定したような被告人及び原の関係及びそれぞれの主観的事情にかんがみ、軽信のそしりは免れないにしても、被告人が原の言をそのまま誤信するに至つた疑いも亦濃厚に存するところであつて、右の合理的疑いを容れない程度の証明が尽されない本件においては、結局有印私文書偽造、同行使、詐欺未遂について、故意があつたとの証明がないことに帰するものといわなければならない。

(六)  よつて、本件公訴事実は、結局犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきものとし、主文のとおり判決する。 (橋本享典)

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